第3回 「勝たせてあげたい」がプレッシャーになるとき― 子どもを支えるつもりが、知らぬ間に重荷になる ―

はじめに:その言葉、ほんとうに「応援」になってる?
試合に負けた帰り道。
沈んだ表情の子どもを見て、こんな言葉をかけたことはありませんか?
- 「勝てた試合だったよね」
- 「もっと集中してれば、いけたんじゃない?」
- 「勝たせてあげたかったのに、悔しいよ」
どれも、子どもを思っての言葉です。
けれど、気づかぬうちに「結果への執着」「期待の押しつけ」として、子どもの心に“重し”を乗せている可能性があるのです。
「子どもの気持ち」と「大人の気持ち」のズレを知る
子どもがサッカーに取り組む理由は、基本的にはシンプルです。
- ボールを蹴るのが楽しい
- 仲間と一緒に戦うのがワクワクする
- もっと上手くなりたい
- 試合で勝ちたい
つまり、内側から湧いてくる「やってみたい」「できるようになりたい」という気持ちが原動力です。
一方、大人はというと──
- 頑張ってるから結果を出させてあげたい
- 負ける姿を見るのがつらい
- 周囲に「ちゃんとやってる」と思われてほしい
- 自分ができなかったことを子に託したい
こうした気持ちは、外から「こうあってほしい」と願うもの。
善意であっても、それが子どもの“自然な気持ち”とかみ合わないと、プレッシャーになります。
プレッシャーは、こうして子どもの心を縛る
プレッシャーは目に見えません。でも、確実に子どものプレーに影響します。
プレッシャーが子どもにもたらすもの:
- ミスを恐れて、チャレンジを避けるようになる
- 本来の自分のプレーができなくなる
- 試合が楽しみではなく「評価の場」になる
- 負けた時、自分を責めすぎてしまう
これは特に、小学生年代(特にU-10以下)にとって深刻です。
この時期に必要なのは、「自由に試し、失敗し、そこから学ぶこと」だからです。
なのに、「勝たせてあげたい」という思いが強くなりすぎると、
子どもは知らず知らずのうちに「失敗してはいけない」「期待に応えなきゃいけない」と感じるようになります。
その結果、自分の意志よりも“評価されるかどうか”が軸になってしまうのです。
「応援」と「干渉」はどこが違う?
両者の違いは、主語が誰かにあります。
応援 | 干渉 | |
---|---|---|
主語 | 子ども | 大人 |
目的 | 子どもが「やりたいこと」を後押しする | 大人の「思い通り」に近づける |
関心 | 子どもの気持ち・成長プロセス | 結果や評価、周囲の目 |
アプローチ | 見守る・信じる | 操作する・誘導する |
「勝たせてあげたい」という思いも、“背中を押す”方向に働けば応援になります。
しかし、「どうして勝てなかったの?」や「次は絶対に勝とうね」のように、子どもが結果に縛られる言葉になると、それは干渉に変わります。
こんな場面に注意!プレッシャーを生みやすい瞬間
- 試合後すぐの声かけ
→ 子どもが一番疲れていて、感情が整理されていないタイミング。ここで結果を責められると、ぐっと落ち込みます。 - 家族内で試合内容を話題にしすぎる
→ 会話の中心が常にサッカー=子どもにとっては「休まる場所がない」状態。 - 「○○くんは上手だったね」と他の子と比較する
→ 意図せずして「評価の軸」を外に置かせてしまう。
保護者ができる“本当のサポート”とは?
サポートとは、「成功させてあげること」ではありません。
「挑戦できる心」を育てることです。
そのために、こんな声かけを心がけてみましょう:
- 「今日はどんな場面が一番楽しかった?」
- 「あのチャレンジ、よかったね。よくトライしたね」
- 「失敗したところ、あとで一緒に考えようか」
- 「悔しいって感じられるのは、頑張った証拠だね」
このように「過程」「気持ち」「チャレンジ」に目を向けることが、子どもにとっては「信じてもらえている」という実感につながります。
まとめ:「見守る強さ」が子どもを伸ばす
子どもが「勝ちたい」と思うのは自然で大切なこと。
でも、大人の「勝たせたい」という思いが強くなりすぎると、
その子自身の主体性や楽しむ心を削いでしまいます。
だからこそ、保護者に必要なのは「任せる強さ」「信じる勇気」。
黙って見守ることも、大切な“応援”の形です。
子どもが自分の力で悔しさを味わい、工夫し、また挑戦する。
その積み重ねが、10年後の自立したプレーヤーを育てていきます。
▶ 次回予告(第4回)
「負け」が子どもを育てる理由とは?
試合に負ける。涙を流す。悔しがる。
それは、すべて「成長の入り口」。
次回は、“負ける経験”が子どもにもたらす価値と可能性についてお伝えします。