第2回 「勝ちたい」という子どもの気持ちは、最大の成長エンジン― 親が知っておきたい、子どもが自走するための“内発的動機” ―

はじめに:その「勝ちたい」は誰のもの?
子どもがサッカーの試合で「勝ちたい!」と口にすると、親として嬉しくなりますよね。「うちの子、やる気になってる」と。
でも、ちょっと立ち止まってみてください。
その「勝ちたい」、本当に子ども自身の気持ちでしょうか?
あるいは、大人が無意識に植え付けてしまった気持ちではないでしょうか?
子どもが自ら「勝ちたい」と感じるとき、それは育成において最も価値ある“内発的動機”が芽生えた瞬間です。
今回は、その「勝ちたい」という感情が子どもにとってどれだけ貴重なものであり、どう関わるべきなのかを深く掘り下げていきます。
外からのやる気 vs 内からのやる気
「もっと頑張りなさい」
「今のままじゃ勝てないよ」
「次こそは絶対に勝とうね!」
こういった励ましや声かけは、つい口をついて出てしまうものです。子どものためを思っての言葉。
けれど、その“やる気”は、外から与えられたもの=外発的動機です。
外発的動機には、報酬や評価、他人の期待に応えるといった側面があります。
一方、内発的動機は「自分がやりたいからやる」「自分で決めたから頑張る」という、自主的なエネルギーです。
教育心理学では、この内発的動機のほうが長期的な学びや成長に結びつくとされています。
つまり、「勝ちたい」という気持ちを大人が引き出すのではなく、子どもが自ら感じられる環境づくりこそが鍵なのです。
なぜ「勝ちたい」が自然に生まれるのか?
子どもが本気で「勝ちたい」と感じる背景には、単なる“競争”だけでなく、次のような環境要因があります:
- 試合に出ている実感がある(自分の存在がチームに影響している)
- 仲間と力を合わせている(一人ではなく、つながりの中でプレーしている)
- 勝ち負けの両方を経験している(悔しさも嬉しさも知っている)
- 失敗しても否定されない(チャレンジが許されている)
- 成長のプロセスが認められている(結果ではなく取り組みが評価されている)
このような環境では、子どもは「勝ちたい」と自然に感じるようになります。
つまり、勝利への欲求は、大人が教えるものではなく、安全で前向きな経験の積み重ねの中から自発的に生まれるのです。
大人の関わり方:管理よりも“観察と共感”
「勝たせてあげたい」
「結果を出させてあげたい」
そう思うあまり、大人は「指示」「管理」「操作」に向かってしまいがちです。
でも、子どもの中で芽生える「勝ちたい」という気持ちは、外からの指示で育つものではありません。
大人がやるべきことは、“気づくこと”と“受け止めること”。
- 「この子、今日は悔しそうにしてるな」
- 「あの試合のあとから、自主練を始めたな」
- 「試合後、黙っていたけど、帰り道にポツリと反省を言ったな」
このように、子どもの内面の動きを察し、共感し、応援することが、本当の意味でのサポートです。
「勝ちたい」が自走を生む瞬間
私が指導現場でよく目にするのは、勝敗を超えて、自分で考え始める子どもの姿です。
ある試合で負けたあと、一人の子がこう言いました。
「俺、もっと1対1で負けないようにする。ドリブルの練習増やす。」
この言葉には、強制されたニュアンスは一切ありません。
「勝ちたい」という感情が、自ら行動を生み、自主的な取り組みにつながった瞬間です。
大人が勝ちにこだわりすぎると、子どもの「考える力」「動く力」が失われていきます。
でも、「勝ちたい」と思う気持ちを尊重すれば、子どもは自分で道を切り開くようになるのです。
■ まとめ:「勝たせたい」ではなく「勝ちたい」を支える
子どもにとって、「勝ちたい」という気持ちは、決して誰かに見せるためのものではありません。
それは、自分自身の「もっと成長したい」「もっとできるようになりたい」という、純粋な願いの現れです。
私たち大人がするべきことは、その芽を摘まないこと。
コントロールするのではなく、その感情が自然と育つ環境を整えることです。
そしてもし、子どもが悔しそうにしていたら、言葉をかけなくても構いません。
そっと寄り添い、「その気持ちがあること」を信じてあげてください。
成長のエンジンは、子どもの中にあるのです。
▶ 次回予告(第3回)
「勝たせたい」が招く落とし穴:なぜ大人の“期待”が子どもを縛るのか?
子どもが本来持っている力を、大人の声かけや態度が削いでしまうことも…。
「応援」のつもりがプレッシャーになる、その境界線を解き明かします。